たいへいについて about

GREETING 代表ご挨拶

作りたいのは、信頼です。

戦後日本の復興の一助となるため、当時の基幹産業であった繊維産業を立て直すべく、1948年に先代社長が太平設備工業所を設立。1973年のオイルショックで一時は経営の危機に陥りましたが、当社の技術力を信頼してくださるお客様から大型プラントの発注をいただき、なんとか苦境を脱することができました。

そうした経験を教訓とし、好景気で日本が沸いた時であっても堅実な経営を続けると共に、お客様・パートナー企業の信頼を裏切ることのないよう技術力を磨き、Win-Winな関係を築くことを大切にしてきました。また私が経営に関わるようになってからは、「不況抵抗力の強い会社を作る」ことを掲げ、その実現のために事業の多角化を進めてきました。機械の製造はパートナー企業にアウトソーシングし、自社のリソースはどんな機械を作ることでお客様に価値を提供できるのか、というアイデアを考えることに特化。更に自社で開発・製造したフェルトマットプラントを使った、フェルト製造事業も始めました。

1993年に社名を株式会社たいへいに改めたのも、プラント機械の製造だけに留まらない事業展開を行なうという意思表示です。またフェルトマットは繊維廃材を利用して作るエコ製品であり、環境問題への取り組みに関しても高い成果を上げることが出来ています。私たちは、ただ機械を作り販売するのではなく、お客様の事業にとって価値のあるアイデアを提供するメーカーでありたいと思います。今後も、技術とアイデアのメーカーとして、お客様の成長、そして世の中の発展に寄与していきます。

代表取締役社長 太田 敦之

HISTORY これまでの歩み

戦後からの復興 1948年-

ディーゼルエンジンなどの設計を行なっていた太田慶一が太平設備工業所を設立。1952年には株式会社化し、社名も太平設備機械株式会社に変更いたしました。「ただ機械を作る会社ではなく、アイデアを作る会社でありたい」という想いで、創業当初から経営が行なわれてきました。

昭和23年(1948年) 太田慶一、太平設備工業所を設立
昭和27年(1952年) 名古屋市瑞穂区に太平設備機械株式会社を設立 資本金50万円
昭和36年(1961年) 太田慶一、『繊維原料自動調合装置等、幾多の発明功労』により、紫綬褒章を受章
昭和37年(1962年) 豊田市堤本町に本社工場を新築移転
昭和42年(1967年) 不織布産業への機械装置参画
昭和52年(1977年) 高岡工場に原料調合装置の試験設備を設置
樹脂接着フェルト製造装置を改良開発

企業の変革 1973年-

規模の大きさでナンバーワンを目指すのでなく、「技術とアイデアを売る」というユニークさでオンリーワンの企業になることを目指し、工場の無いメーカーに作り変えることに専心。また変化の激しい世の中のニーズに合わせ、事業構造自体を変化させられる企業を作るべく、変革に取り組んできました。

不況抵抗力の強い会社を作る。 1990年-

現代表の太田敦之が入社時に経営の危機を味わったこともあり、「不況抵抗力の強い会社を作る」ことを掲げ、事業の多角化を推進していくことになりました。また社名も株式会社たいへいと改め、設備機械の製造だけに留まらない事業展開を行なっていく体制を整備いたしました。

平成2年(1990年) 高岡工場を増築し、樹脂接着フェルト製造装置の研究設備を新設
平成5年(1993年) 社名を太平設備機械株式会社から株式会社たいへいに改称
平成7年(1995年) 太田敦之が代表取締役社長に就任
平成17年(2005年) 新社屋建設完成
平成30年(2018年) 創業70周年を迎える